2006/12
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皆様、良いお年を。
さてさて、言わずもがなの2006年ファイナル。

悔しかった年。
暑かった年。
忙しかった年。
悲しい事があった年。
嬉しい事もちょっぴりあった年。
優しさに包まれた年。
そして自分の人生を考えた年。

色んな思いが綯い交ぜになって、恐ろしく駆け足だった2006年。
来年は自分仕様で訥々と日々過ごしていきたいと思ったりしています。

HALブログは色んな方とリンクさせていただいております。
悲しいかな、今年の後半からはコメントいただいた方の所へ行くのが精一杯でした。
皆様には色んなヒントをいただき、また和ませていただき、
多くの教示と多くの暖かさをいただきました。
2006年を締めくくるにあたり、今さらながらですが感謝申し上げます。
明けて2007年もどうぞ宜しくお願い致します。
どうぞ皆様、良き新年をお迎えくださいませ。


2006年ラストフォト↓ 「黒胡椒の揚げ餅」
今日、田舎の義姉から恒例のお餅が届きました。
田舎では年に何度かお餅をつくので、先般送ってくれたものが
食べきれずに未だ冷凍室にありました。
薄く薄くスライスしてサラダ油で揚げました。
少し冷めたところでビニール袋に入れ、シママースと黒胡椒をガリガリして
袋ごとシェイク。これはピンク色なので「えび餅」かな?

きっとまたお餅がたんと余りそうです。
お休みの間に美味しいデザートメニューでも考えましょう。

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焼酎と明太子話。
今日から無罪放免のお休みです。
非常にタイトな日々でした。
最後の最後までバタバタとして結局事務所の大掃除はパス。
家の大掃除もスルーしたいとこですが、いえ大掃除というより
日々積み残した家事のあれこれをキッチリ片してしまわないと
永遠に正月は来ないな。(笑)
といいつつ、ブログ更新してるやん。



















メシネタがないので酒ネタでも。
先日、兄と焼酎専門店なるところに立ち寄ったときに買ってもらった焼酎。
奄美の黒糖荒濾過焼酎。荒濾しがブームなようですね。
これをライムを搾っていただく。うま?い。




















これは奈良の梅乃宿さんの荒濾し梅酒。
HAL家御用達の酒屋のおばちゃんの超おすすめなんですが
荒く潰した梅が沈殿してて振ってから注ぎます。
我が家の手作り梅酒なんぞ足元にも及ばない旨さ。
元々お酒を造っていたのですが、今や梅乃宿さんは焼酎作りで忙しいとのこと。





















そして、この梅酒を奄美の荒濾しと割るのです。
これは以前ゴンさんのブログで拝見した蔵元さんのお奨めの飲み方。
甘い梅酒が焼酎と中和されて恐ろしいほど旨い。
けれど気をつけましょう。ぐびぐびと底なしになる予感。(笑)
ご覧のように梅酒が濁ってます。一升瓶も絶賛販売中。




















スーパーも閉まってしまった宵のこと。冷蔵庫を漁っても何もない。
ゆで卵を作り、数分煮たとこで小松菜を入れ、庭の柚子をちらし。
小松菜の煮浸しというのは柚子と非常に相性がいいです。
夜更けにゆで卵食べながら焼酎飲んで、そのままオコタでうとうと。
幸せなのか不幸なのか・・・あ?よいよい♪と。(笑)




















これは自家製明太子ではありません。
生たらこが売られてきましたが、全て加熱用の表示があります。
年明けに鶴橋まで行かねばならないでしょうね。

もう随分前に「さんまのまんま」にキム兄が出てたときのこと。
「これ一回食べてみてください。」と持参のアルミホイルを開けると焼き明太子。
フライパンに胡麻油をひき、中が半熟程度になるように焼きます。
それからというもの、我が家では大ヒット。
これを是非自家製明太子で作ってみたいものですね。


ひね鶏で作る「鶏ごぼうご飯」。
やはりノロウイルス蔓延してますね。
職場の新人女の子も撃沈してしまいました。
ニュースではあと1000万人ほどの感染者が予想されるそうです。
保健所の通達では漂白剤を薄めて消毒するとか。
アルコールスプレーなんぞは効き目がないそうです。
そして手洗い励行。やっかいなウイルスのようです。

いつの間にか、ランキングが見れるようになっていますね。
こんな愚ブログを沢山の人が見てくれてるなんて。
今感動に打ち震えております。。゜(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
けっこう励みになるなあ。頑張ろっと。

賄いどころか食卓に載せる絵面すらも浮かばない毎日ですが、最近私の顔を見ると
かしわ屋さんのおじちゃんが「ひね鶏か?」と聞いてきて、「いや、すぐ食べれるもの。」
と言うと、「今日さばいたばっかりやのにな?」なんてことを申します。
「じゃ、ひね・・・」「まいどおおきに?」(笑)

HAL家で一番人気ご飯は鶏ごぼうご飯。これをひね鶏で作ってみました。
固いひね鶏もご飯にするといい塩梅になって売れ行き良好。

材料:
鶏モモ肉、ごぼう大、人参、酒大さじ2、砂糖、醤油、みりん、ごま油、出し汁

作り方:
?ごぼうはささがきにして水に放ちアクを抜く。その後水切りをしておく。
?鶏肉、人参はそれどれ適宜に切る。
?フライパンを熱し、ごま油を入れ鶏肉から炒める。
火が通ったら他の具材をともに炒め合わす。
?調味料を入れ味をつける。
?炊飯器に予め洗っておいた米を入れ、出し汁をはる。水量は少々控えめで。
?炒めた具材を汁ごと入れ(上に平らにのせる)スイッチオン。

はやくも新ごぼうが売られていて、4合のお米に牛蒡3本、ひね鶏もも肉2枚。
やっぱり牛蒡が多いほうが美味しいようです。


ネタもないので最近のアイさんに登場してもらいましょう。↓

君、ほんま最近人相悪いで。
ネコというのはテーブルに載っても怒られない。犬は叱られる。何ゆえ?

娘の新しい通学カバンで爆睡中。
以前使っていたカバンがお気に入りではなく、娘のカバンが好きなだけのようです。
つか、娘よ。教科書じゃなくてマンガ本が入ってるやん。

ハタハタの卵は食べれるのか?
さてさて年末モード突入でございますよ。
昨日は忘年会でしたが、先般のノロウイルス攻撃により酒が飲めね?と
熱燗徳利の首つかんでぼやきながら旧友達と久しぶりにしんみり致しました。
素面で家路を辿るなんぞ滅多にないことですが、つか、いい歳して浴びるほど
飲むなっちゅうとこですが、先般兄弟で酒を酌み交わしたときに悟りました。
どう足掻いても酒飲みの家系ですわ。
オヤジみたいなよ?酒飲みなぞ?に?ならぬつもりがなっていた?♪
この千さんの名曲がHAL家兄弟のテーマソングでございます。

と、ゆうべ旨いものを激写したつもりが画像がありません。
あらら、やっぱり酩酊してたのでしょうか。携帯置き忘れ店員さんに追っかけられる始末。
言い訳なのか何なのか高いチーズケーキをお土産に帰るあたり
そこらのオヤジと変わらんなと一人ごちる冬の宵。画期的にも午前帰りなしの宵。


特筆すべき料理群もないですが、最近の食卓から。

















玉ひも。
ひもの部分をチョキチョキひとくち大に切ってじゃぶじゃぶ水洗い。
酒、醤油、砂糖、みりん、生姜スライスで甘辛く煮ました。
子供の頃のご馳走。HAL母の味でもございますね。

















自家製切干し大根。
干し期間が短かったのか未だ大根の辛さが残っています。
それはそれでいいかな。サラダにしたらもっとピリピリ感がでたかもしれない。
今度作ってみたいと思います。

















旬なのでしょうね。
ハタハタがそこらじゅうで売られています。
ぷりぷり肥えてるぞ?と思っていたらお腹には沢山の卵が。
とりあえず出して、酒少々をふり片栗粉をまぶして唐揚げにしましたが
きっと卵も食べれるんでしょうね。
ハタハタ卵に精通の方がいらっしゃっいましたらお教えください。



母のこと
記憶として残しておきたいから、あえて。

11月5日の朝のことになる。
私はKっちの結婚式が行われた桜島を離れ、フェリーのデッキにいた。
バイブにしていた携帯をあけると兄や主人、子供から何度も着信が入ってる。
その瞬間にすでに何が起こったかわかっていたような気もする。
主人に電話すると母が倒れたという。
兄にも電話する。すでに心肺停止を起こし蘇生がされたそうだ。
大分の叔母の元へ寄ってから大阪へ帰る旅程だった。
そんなことで飛行機のチケット片道分だけを持ち桜島にやってきたのだ。
折りしも三連休の最終日。
同行のCさん、Yさんがそれぞれに航空会社に電話してくれる。
気持ちだけ焦り何も手につかない。結局キャンセル待ちすら出来ない状況。
結局、新幹線を乗り継ぎ大阪へと戻ることに。
お二人には本当にお世話になった。あの瞬間に居合わせてくれただけで有難い。

楽しかった桜島でのひとときの後、叔母たちと温泉にでも行こうと
言っていたにも関わらず、何故か大阪に戻りたいという焦燥感に駆られていた
気持ちの出何処が、今思えば母のことと符号する。不思議なものだ。

母は救命救急のICUにいるため私が戻ることができる時間には面会できないという。
一日がかりで家に戻った。人生で一番長い一日だった。
そして、この日から母が亡くなる11月21日まで私は何も手がつけられないまま
毎日電車に乗り奈良にある救命救急センターに通うことになる。
母はただ眠っているようで、呼びかければ目を覚ましそうで、けれど、
そんな奇跡は起こることがないと先生には聞かされていた。
遠くにいる叔母たちはすぐさま飛んできそうな勢いで、でも、もしもの事があれば
また叔母たちを呼ばねばならない。
「あなたたちと同じ気持ちでいるのよ。」と叔母に泣かれた。
東京の兄が飛んできて、大分の叔母たち、沖縄の叔母たちが次々とやってきた。

長く大阪に帰ってこなかった東京の兄は母の手を握り3日間泣き続けた。
「母さんは怒ってなかったか?」と私に聞いた。
叔母が代わりに答えた。「心配こそすれ何故怒るのよ。」
私たちは子供の頃に怒られた記憶など一切ない。穏やかな人だった。
東京の兄を見てると子供の頃のように手を繋いで歩きたくなった。
そんなに泣かなくていいよと言ってあげたかった。

父が早くに亡くなり、私たち兄弟は支えあって生きてきた。
とりわけ、長男である奈良の兄はこの不出来な弟や妹に苦労してきたはず。
何故かこの期に及んで私は兄にそれを詫びた。
兄は「お前たちがいたから俺も頑張れたんやで。」と、一笑した。

数日経って叔母たちは帰っていった。
母は少し浮腫んできたもののその他は安定してるようだった。
面白いことに私たちが少し落ち着き、仕事に行こうとすると病院から連絡がある。
どうも傍にいて欲しいみたいだ。
器官が腫れてくるとうまく酸素を送れないので喉を切開してそこに繋ぐという。
兄と私は同じ思いで、もうこれ以上母に傷をつけたくはなかった。
電気ショックも断った。もう何をしても目は覚めないのだから。
担当の先生は承諾して、もし何かあったら私が傍にいますからと言ってくれた。

母の呼吸が穏やかになった。
私は来るべき日が近いことを感じ始めていた。
そして、その日は2日後にやってきた。
朝4時に電話が鳴った。病院に駆けつける車中で兄からその訃報を聞いた。
母は看護士さんに呼吸器をつけていた絆創膏の後もわからないほどきれいに
してもらっていた。どこかで見た仏様のような穏やかな顔だった。
取り分けおばあちゃんっ子だった長女のしゃくり上げる泣き声が病室に響いた。

母を乗せた車を先生や看護士さんが見えなくなるまで見送ってくれていた。

いつもそうだが、お葬式の準備というのは煩雑さに悲しみを束の間忘れさせる。
子供たちだけで出す初めてのお葬式でもある。
遠いところからまた皆がやってくる。色んな打ち合わせにあたふたする。
それでも母が照れそうなくらい立派なお葬式だった。
私はそれをカメラに収めた。前代未聞であろうけれど母へのはなむけとして。

誰もが不眠不休で疲れがピークに達していた。
斎場へ母の骨を拾いに行く。白くなって出てきた母の骨を見て兄が叫んだ。
「骨になっちまったぜ!」
兄の言葉に全てが集約される。みんな同じ思いだ。
そして、最後の最後まで一緒にいた兄の悲痛な叫びだ。
「さあ、かえろかえろ。」
もう終わったんだ。母さんを連れてかえろかえろと兄が泣いている。

それでも初七日をするために和尚さんが待ってくれている。
どういう因縁か和尚さんは同じ大分出身で、母を家に連れて帰ったとき、
お通夜、告別式、そして初七日と、その度に涙ぐんでおられた。
自分が大分から大阪に居を移さねばならなかった経緯やらを話され
どこかこの同県人とオーバーラップされたのかもしれない。
有難い有難い和尚さんの暖かい涙でもあった。

翌々日に皆が帰ることになり、後は我ら大阪組が頑張らねばならない。
別れ際に沖縄の叔母が私の肩を抱きしめてくれた。正確には兄も抱きしめた。
小さい叔母が大きな愛情でいつもいてくれることが嬉しい。
ぐずぐずになりながら、「叔母ちゃん、いつまでも元気でおってな。」
そう言うのがせいいっぱいだった。
私には優しい頼もしい、いつも気にかけてくれる叔母や叔父がいる。
大好きな兄がいる。これは母の残してくれた私の財産でもある。
母の葬儀は取り巻く身内の暖かさの再確認の儀式のようでもある。
母には何の親孝行もできていない。孫の顔を見せたくらいだろうか。
言ってもせんのないことと、悔やむことはやめる。
それもまた母の人生。私の人生。人生とはそんなものだと言ってみたりする。

母の死によって何かが変わり始めたような気がする。
母を軸に自分という存在がもう少し頑張ってもいいような気がしてきた。

でもやっぱり切ないよな。
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