2005/02
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小倉?明礬温泉旅日記 ?
*明礬温泉・完結編 (2/7?2/8)

花びらのように散りゆく中で
夢みたいに 君に出逢えたキセキ

このフレーズが旅の間ぐるぐる頭を駆け巡ってた。
中国の諺に「百万冊本を読むより百万キロ旅をしなさい」
というのがある。
多くの出逢いや多くの見聞が感動やら感謝やら目にみえないものを
自分という軌跡に与えてくれる。
石仏を見たことでスピリチュアルな効果もあったかもしれない。
生きていく上での様々な葛藤を浄化して自分という本来の姿に
戻りたいものであります。

と、胡散臭い話はおいといて。

臼杵から戻り、岩風呂なる源泉まんまの湯に浸かった。
先客のおば様方が硫黄の湯に入る心得を語り始めた。
湯で濡れた手で顔を触ってはいけない。
人の顔にかかるからそおっと入らなければならない。
かかったら最後大変なことになる。
心の中で、そんな恐ろしい泉質があるんかいと思いながら
はいはいと頷き、おば様方の長湯治の薀蓄を叔母とふたりで聞いた。

でも、これがきた!
岩風呂から部屋に戻る道すがら何度もふらついた。
叔母も同じようだ。湯あたりというものでもないようだ。
恐るべし、硫黄の湯。
食事のあと肌がピリピリしてきた。
これは多分、昨日屋内の温泉で炭塩なるものでマッサージをしたせいだ。
でも、ちょこっとおば様方の薀蓄も気になり再び屋内の温泉へ。
硫黄を洗い流そうと誘うけれど、叔母は流石に疲れてしまったらしい。
夜も遅かったので私だけの貸切だ。
摂りすぎたカロリーを消費するべく泳ぎまくった。
人が見たらアホな光景だったろうな。
ほどよく疲れて爆睡。

翌朝、やはり小雨がぱらついていた。
朝食のあと荷造りをしていると宿泊の清算から戻った叔母が
「お金ある?まだ少し残ってるから持って行きなさい。」という。
「あるある。それに新幹線の切符も買ってあるからもういらないし。」
この歳で心配されてることがすごい可笑しかった。
叔母の中では高校生の頃と少しも変わらないのだろうな。
宿を立ち、別府駅へと向かう途中で湯の華を作ってる所を見学した。
韓国からの観光客がいっぱいいて、土産物屋さんの女の子が流暢に
「アニョハセヨ?」と声をかけている。
しかも、みんな、湯の華をお土産に沢山買っている。
韓国って温泉あるんだったっけ?


yunohana.jpg

「湯の華」を作ってる小屋


別府駅に着き、叔母ともまた暫しのお別れ。
会うごとに歳を重ねていく姿を見るわけだけれど
少しでも健康のまま長生きをしていって欲しいよね。
今度まみえる日まで何事もありませんように。

別府から再び小倉へと移動。
新幹線へと乗り継ぎ、一路大阪へ。
関門を通るとき、通過中?と、りり姉さんにメール。
これで全ての旅が終わったよと、感慨に浸りながらもウニ弁当を食らう。
新大阪に降り立つと、再び鼻炎勃発。(忘れてたのに・・・笑
夕方、家に着くと末娘がちょうど学校から帰ってきたところだった。
「ああ、お母さんの顔を見てほっとした。」
そう言われねば母の価値がないがな。(笑)
オサンドンに明け暮れた長女と寂しがりの主人に感謝して
短かったけれど、いい旅でした。
今度また観劇ツアーに便乗して留守にするかもしれないけれど
そこのとこよろしくです。

みなさん、本当に有難うございました。

HALの九州旅日記「完」でございます。

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小倉?明礬温泉旅日記 ?
*野上弥生子に学ぶ編 (2/7)

nogami1_20090802171203.jpg

ナビを頼りに野上弥生子文学記念館へと向かう。
大分臼杵は不世出の作家「野上弥生子」の生誕の地でもある。
「秀吉と利休」でその名をご存知の方も多いかもしれない。
野上弥生子は酒、味噌、醤油業(現フンドーキン醤油)を営む
代屋古手川家の長女として生まれ記念館の隣には小手川酒造が今もあり
向かいにはお洒落なフンドーキン醤油のお店が軒を連ねている。
野上弥生子文学記念館はその生家を改修して作られたもので
黒い石畳の道をはいると白い土塀の瀟洒な佇まいに思わず息をのんだ。
通りの美しさが記念館と見事に融和してもう此れは1枚の絵である。
叔母は臼杵の人は昔から町づくりがとても上手だというのだ。
「臼杵の赤猫」という言葉がある。ケチという意味だ。
その昔、臼杵は3万石の石高で厳しい財政のもと質素倹約を旨とし
それがいつの間にか臼杵に根付き「臼杵の赤猫」という
失礼な汚名を頂戴したのだろうと叔母が話してくれた。
「赤猫」とはどういう意味かと聞いたけれど分からないらしい。
でも、赤猫のオブジェやら玩具がお店にディスプレイされていた。
ならば、「赤猫」をもシンボルにする臼杵の人はすごいではないか。


sironeko_20090802171228.jpg

記念館にはいろうとすると赤猫ならぬ白猫が突進してきた。
噛まれるのかと思いきや、何やら猫語で話し掛けてきた。
んな、馬鹿な?と思われるだろうが、この猫はずっと意味不明の猫語で
(当たり前だが)喋り続けるのである。
記念館の引き戸を開けると、一緒にはいってきた。
記念館の人が困りますとおっしゃるのだが、困っているのはこっちで
仕方ないので叔父が蹴飛ばす真似をすると仕方なく退散してくれた。

10分ほどビデオを見て、展示室になっている2階へと向かう。
所縁の品や原稿などが所狭しと展示され、99歳で天命をまっとうした
野上弥生子の歴史そのものが凝縮されている。
野上弥生子は15歳で上京して明治女学校に入り、卒業後、同郷の
野上豊一郎と結婚。(後の法政大学学長)3人の男の子をもうける。
執筆は家事の合間、育児の間に少しずつ書き溜めていったらしい。
家庭第一の人で亡くなるまで自分で食事の支度をしたという。
野上弥生子のすごいエピソードは数限りないので此処では端折るけれど
甥っ子である小手川力一郎さん(現フンドーキン醤油会長)によると
野上家では女中さんがいたにも係わらず朝は家族総出で掃除をしたらしい。
もちろん法政大学学長である夫君もである。

叔母が子供の頃女中さんがいたにも係わらず、毎朝掃除をさせられ
子供心に何故私が掃除をしなくてはならないのだろうと思ったと
この旅の途中に話してくれたのを思い出し、
「叔母ちゃん、野上家と同じやわ。」と大笑いした。
野上家では自分の靴は自分で磨くという不文律があったようで
自分のことは自分でやるという弥生子の毅然とした常識が何がしか
生きていく上でのすごい原動力になっているような感じがした。
小手川力一郎さんが弥生子を称して偉大な常識人といっている。
3人の息子を共に学者として育てあげ夫に尽くし、その傍らで本を書き
二度と出てこないであろうと言わしめる素晴らしい作家。
それは野上弥生子の人となりが作り上げた偉大な足跡に他ならない。


nogami3.jpg

私という人間は何でも感動する。でも持続力がまるでない。
こうして素晴らしいものに出会った感動をどこかのフィルターに
隔離できたら、もうちょっと我が人生に光明が射したに違いない。(笑)
記念館を出ると、またもや白猫がやってきた。
意味不明猫語で話かけてくる。よくよく人なつこいヤツだ。
野上弥生子記念館の横壁がどこかの外国のアーティストによって
作られたタイル貼りになっている。そこにまたまた黒猫が鎮座している。
叔母が写そうとしたが、生憎のお天気と黒猫でシャッタースピードを
かなり遅くしているらしい。
私は同じ一眼レフでも久々に持ったのでオートにしたため何とか激写。
さて、どこに黒猫がいるか探してください。


nogami2.jpg

記念館のお向かいフンドーキン醤油のお店で名物の黄飯をいただく。
ここにフンドーキン特製の鯛味噌をのせ、同じく特製の赤だしで
フンドーキン三昧。いやはや子供の頃にトリップしそうな勢いだ。
心もお腹もいっぱいになったとこで一路明礬温泉へと靄煙る道を戻った。

小倉?明礬温泉旅日記 ?へと続く

小倉?明礬温泉旅日記 ?
*臼杵・磨崖仏(まがいぶつ)編 (2/7)

yukemuri.jpg

朝目覚めると雨が降っていた。
窓外は立ち込める靄と湯煙が渾然となって真っ白だ。
この日は高速を使って臼杵に行く予定で、普段からよく霧のせいで
通行止めになり役に立たない高速なのだと叔母がぼやいていた。
とりあえず朝食をとっていると少しは視界が広がった感じで
高速道路をゆっくりと臼杵の町へ。

大分臼杵市には日本で初めて国宝に指定された磨崖仏がある。
文字通り崖や岩壁に彫られた仏像で、その数59体。
分布的には日本の磨崖仏の8割が大分県に集中している。

大分には阿蘇山の噴火によってできた溶結凝灰岩がいたる所にあり
これが彫りやすく磨崖仏に適しているのが宝庫たる由縁らしい。
特に臼杵の磨崖仏は数的にも技法的にも優れている。
しかし、彫りやすいということは脆いということでもあり
12世紀に作られた磨崖仏群は悠久の時を経て朽ちていったのである。

中でも有名な古園石仏群にある巨大な大日如来像は頭が落ちたまま
地面に放置され、長くその不自然な姿を晒していたのだ。
近年大規模な修復工事が施工され、その頭はちゃんと御体の上へ。
石仏群の上には屋根も取り付けられた。
大日如来の頭が転がっている様を見られた方も多いのではないだろうか。
朽ちるのを止めるためにシリコン注入などの人為的処置がとられた訳だが
自然の石仏に人が手をいれてよいものかと復元の是非をめぐって
大いに揺れたらしい。


dainitinyorai.jpg

ともあれ、拝顔したかった大日如来像は大きく立派で気品に満ちていた。
施された着色は当時のままらしいが、雨のせいか綺麗に発色していた。
他にもホキ石仏群等多くの磨崖仏が現存するが、その顔は慈愛に満ちて
誰もが心洗われるに違いない。
見入っていると突如はらはらと涙がこぼれた。
感動したのか、魂が揺さぶられたのかよくわからないが
何せ水分の多い人間だ。
ここですべてを語るには少々長すぎるので、
みなさん、大分にお越しのせつはどうぞ臼杵にお立ちよりください。

そんなこんなで、そばにあるお土産屋さんへ。
近隣の農家の方で作っているお店があり、覗いてみると
大分名産のかぼすがてんこ盛りで100円也。
ほしい、ほしい?とかぼすを抱きしめると叔母が呆れ顔。
「何するの?」「ぽん酢作る。大阪では1個100円する!」
「来年うちの庭になったかぼすを送るから。そんな重いもの大阪まで
持って帰れないでしょうが。」と大笑いされた。
そして、軽い切干大根をふたりで沢山買った。
おまけに切干大根を使った料理の薀蓄を二人で農家のおばさんに披露し
恐るべし、DNA。あらそえない血脈・・・の摩訶不思議。(笑)

隣にあるお土産屋さんで家用に職場用にと沢山買い込む。
つか、買ってもらった。大分にきてからはずっと子供のようだ。
隣接する休憩所で甘酒をいただく。凍った身体に沁みこむようだ。
「あら、お塩がはいってる。こんなにいれなくても。」
「生姜の量も多いなあ。」
「粘りがあるなあ。もっとさらっとしたほうが旨い。」
いちいち煩い3人組み。黙って飲めんのかい。(笑)
飲みながら、次に行く場所の所在地を確認する。
車に乗り込みナビに住所をいれるものの再び叔父さんはナビと格闘。
あらら、いつになったら覚えられるんだろ。
一眼レフを操り、二科賞の大賞まで受賞した人だよ。
ということはカメラ操作はアナログの領域なのか?
御年、70歳。デジタル化への道のりは遥か遠い・・・

小倉?明礬温泉旅日記 ?へと続く
小倉?明礬温泉旅日記 ?
*別府 明礬温泉編 (2/6)

ソニックという列車はJR九州の中でも実に遊び心がある内装だ。
行きは可愛いミッキー頭のような座席でカラフル。
帰りは茶色の革張りシートで床はお洒落なフローリングだった。

着いた別府駅はあいにく改装中で風情も何もないが、数日前から
明礬温泉入りしている叔母夫婦が改札まで迎えにきてくれていた。
叔母は大分佐伯の在で、この小倉行きを決めた際、叔母の元に
立ち寄ろうと思っていたのだが(私は大分佐伯生まれなのだ。)
丁度温泉に行こうと思っているから別府で降りなさいと言われ
急遽、旅程変更となった。
昨年、大阪に来てくれたので懐かしいということもないのだが
叔母はいち早く私を見つけ子供のように手を振り歓待してくれた。

大分別府には別府温泉と明礬温泉とがある。
叔母夫婦は車で来ており、同乗して宿泊先の宿へと坂の町を上った。
あちこちから湯煙が昇り、なんとも風情がある。
途中「ごまだしうどん」の看板を見つけ食べていこうという。
「ごまだし」というのは子供の頃から慣れ親しんだ食べ物で
魚をすり身にして味噌と合わせ、うどんの上にのせ熱い出汁をかけ
いただくというシンプルなものだが、これがうそみたいに旨い。
小倉でパンクしかかったお腹にこれを流し込む。
旅とは食うことかい?

宿は真新しい立派な厚生年金施設のようで、ホテル並に気持ちがいい。
部屋はオーシャンビューならぬ、山から湯煙ビューで
山のあちらこちらから真っ白な湯煙、きっと湯の華を作っているのだろう。
暫し歓談のあと、予約をしてくれていた露天風呂に叔母と向かう。
家族だけで入れるシステムがあるようで、叔父も一緒でも全然よかったが
気を利かせてくれて叔母と私の貸切と相成った。
貸し切るには広すぎる露天にふたりでのんびり浸かり
これがまた風情のある山の露天という塩梅で俄か旅人としては感無量。

去年の台風で車も家も水に浸かり大変だったのよと聞き
叔父のおぼつかないナビの操作に、なるほど新車なんだと気づいた。
叔父は今年70歳になる。未だにソフトボールクラブで週2回は練習をし
筋骨たくましいお爺さんである。
定年後、日曜大工の学校に通っていたので浸水した床は1ヵ月かかって
叔父が張り替えたらしい。そんな話を尽きずに話した。

叔母の肉が削げてしまったお尻を見ていると、寄る歳を感じる。
叔母は若い頃は東京の出版社に勤めており、佐伯に帰郷するたびに
長女である私の母のもとに長く逗留した。
カメラをその頃からやっていて、私をモデルに沢山の写真が現存する。
高校生の時も夏休み中叔母の元に寄宿してたことがある。
叔母は聡明な人で一族を取り纏めたり、様々な事柄にも骨を折って
今はあちこちに散らばっている身内ひとりひとりに気持ちを掛けてくれる。
私などはその筆頭だ。
本の話やら歴史の話やら撮影旅行の話やら、この不運な姪っ子(?)に
いつもいつも膨大な知識と新しい知識と絶えず送り続けてくれ
遠く離れて暮らしていても本当に我が子のように可愛がってくれている。

すっかり硫黄の湯で浮世の垢を洗い流したとこでまたもや宴である。
面倒なので地酒を2合とっくりで持ってきてもらい祝杯のあと
美味しい山海のご馳走に舌鼓を打つ。
やっぱり魚が旨い!マグロがこりこりしてるなんて大阪では考えられない。
あんまり感動してるので、叔母が自分の分も食べろという。
豊後牛も絶品だ。ああ、大阪の我が家では今頃何を食べているのやら。
少しだけ後ろめたい気にもなった。
つか、日に何度も主人から電話が入る。子供からはないのにね。
さて、明日は行きたいとこに連れていってあげるからねと言われ
そうなんです。私は大分人でありながら行ったことがないとこが
沢山あって、是非行きたいとこがありこれが楽しみだったのです。

小倉?明礬温泉旅日記 ?へと続く

小倉?明礬温泉旅日記 ?
*びっくり小倉編 (2/6)

ホテルに着く前にコンビニへ。
お茶と明太子を買う(?)意味不明な行動だよな。
お風呂に入り身を清めるがこの日もヒマヒマとの同衾はなかった(笑)
朝ヒマヒマのフォーマでタッチンに起こされる予定だったが
その前に目が覚めてしまった。つくづく年寄り。
さて、おいしいブランチを食べようと再びリバーウォークへ。
イタメシ屋さんに入り、注文をするがセットメニューを頼むと
次から次へでてきて、昨日の大食いがたたってかパンク状態。
でも、ほそっこいヒマヒマは完食。どこに入るのか不思議だ。
リバーウォーク内のただのイタメシ屋ではない。本格的だ。
だってね、シェフがいちいちやってきて薀蓄語るんだ。すげ可笑しい。

いろんなお店を覗いてから私は別府へと向かうために
劇場前にてヒマヒマと別れる。
またいつか会うだろうが、人との別れはやはり寂しい。
といいながら別府行きのチケットをすでに買ってあるので
迷わないように小倉駅に着かねばならない。
方向音痴の私としては最善を尽くすために何度か道を尋ねては確認する。
すごく急いでる女の人に駅はこの道の向こうですね?と聞くと
すごく歯切れが悪い。「えっと、方向はあってますが、えーっと・・」
でも急いでるためかなかなか説明がつかないでいるようだ。
「とりあえず方向はあってますよね?」というと「はい・・」

お礼を言ってその道を入ると、女の子の写真が並ぶ店が延々と続いている。
あれ、キャバクラ通り?昼間から?
しかもキャッチのおじさんぽい人達が各お店前に立っている。
ちらちらと店の看板を見ながら歩いていくと2万円とか3万円とか書いてある。
キャバクラやんなあ?最初から値段設定してるやん・・と
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

此処は!
「母を売る店?!」もとい「春を売る店!」やっと気づいたボケHAL。
ほ?歓楽街なんや??とすごい感動した。
で、さっきの女の人はこのほにゃらら旅人にこの道を歩かせまいと
いろいろ考えてくれたのね。すみません。
まあ、襲われることもないだろうと(当たり前やん)
更にその通りを歩き進むと今度はとんでもない看板が目に入った。

映画館である。しかも!
真っ赤なでかいゴシック体で「薔薇族専門映画館」と画いてある。
ふんどし姿のお兄さんが笑みを湛えながらの決めポーズポスター。
すごいぞ。こんな経験はそんじょそこらではできん。
近代能楽集やら三島先生やらがが頭の中でリンクして
携帯カメラで激写したかったが、そんなことをしようもんなら
薔薇のお兄さん達に取り囲まれるかもと、惜しいけれど断念した。
しかも学校をずる休みして通い倒した場末映画館なんかより
遥かに湿度の高そうな佇まいが実にコアで湧き上がる感動に打ち震えた。
と、時間がないがな。

そんなこんなで、慌てて駅に辿り着き荷物をコインロッカーから出し
可愛いミッキー頭のソニックで一路別府へと向かったのでありました。
小倉最高!

sonic.jpg  ミッキー頭のソニック


小倉?明礬温泉旅日記 ?へと続く
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